アイドルが世界を救う話

だってだって、アイドルなんだもん。

感想の話

あの舞台を褒める私は頭が可笑しい?あの舞台を面白くないと愚痴る私は変なの?

なんてことは前からよく思う。多分、この間書いた感想はまさにそれ。でもそんなことはよくあるんだよなあ。凄い仲良くしてもらってる人とですら、感想が食い違うことはある。相手は滅茶苦茶良かったと言っても、私はどこが良かったのか分からない時だってあるし、その逆も然り。問題は、そうなったときに自分の考えをちゃんと言えるかどうか、ってとこかな。言われたときは何言ってんの?とか思いそうだけど。

脚本が嫌なのか、そもそもキャストが嫌だったのか、最近多いのは「客席の雰囲気が嫌だ」なんじゃないかな。自分と周りの反応が違う。TLとかでなんとも言えないけどもやもやする~って書いてるパターンってこれな気がする。

今回書きたいことは面白かったとこの作品好き!は違うってこと。私が好きなのは余白がたくさんあるような、だけど設定がごてごてなやつ。あとたまーに、ひたすら笑えるならってものもある。仕事で嫌なことがあったとき、もう明日生きるのも嫌だなって思ったとき、顔が整った人たちが歌ってる姿をただ流してるのって案外頭を柔らかくしてくれるからおすすめ。頭を使っちゃうのはますますイライラしたりするからやめておいた方がいい。

だからね、人様の感想を読んで作品を鵜呑みにしないでねって思うのです。私が書いた感想だって真逆のことを言ってる人も居るし、私も読んで「まあ確かにそうだったな」って思うことも重々ある。その時は楽しいと思って勢いで感想書いたけど、時間が経ったらそうでもなかったなって思うこともあるから。

舞台「おそ松さん on the Satge The six men's show time」観劇

凄い勢いでオタクを引き寄せてたおそ松さん 見たことのない私は「イチカラさん?」「えっおそ松さんってタイトルじゃなくてキャラ名でもあるの?」状態で今回観に行ったことでようやく「トッティとトド松は同一人物」ってことを知った。

 

osomatsusan-stage.com

 

大阪、東京もそれなりに公演を重ねてから観に行ったから周りの評判はちょこちょこ聞いてたんだけど、なるほどってなった。最初は「原作通り何もしてなかった」っていうのすら意味分からなくて何言ってんの?だったけど、納得。「なにもしてない」がかかるのはストーリーにだった。

舞台をショートケーキで表すなら、スポンジが脚本で間に挟まるフルーツたちが演技の演出で、周りのクリームが照明や美術・衣装等の演出で上に乗ってる苺が役者たち、っていうイメージを持っているんだけど、松ステはタルトみたいだった。ベースはちゃんとあると思うんだけど、彼らが舞台上で生きていることをその場で実感することができるあの感じ。エチュードとはまた訳が違うのかもしれないけれど、そんな感じの…いい言葉が見つからないなあ。観終わって少しして、これは役者さんひとりひとりが試されてるなって思いました。それでもこんだけ面白いんだから、それぞれをキャスティングした人、凄いな…。

中身はまさにエンターテイメント。いっぱい笑ってとにかく笑わせにくる。きっとそれがこの作品の核になる部分なんだろう。感動を届ける、とか、とにかく泣かせる、でもない、6人が過ごしている日常を私たちが覗くだけ。それだけなのにどうしてこんなに人気公演でチケットが取れなくて当日券もあそこまで列が出来ていたのか。まあファンサがあったのは大きいでしょう。あと役者のファンが駆けつけたところもあると思う。だけど私が一番感じたのは、考える暇もなく次の手が打たれるところにあると思った。「ああっ今の面白い!きっとこういう解釈で、、、えっもう次に行ってる?!」みたいな…ショートコントみたいに、場面展開が早い早い。そしてとにかく暗転がうまい。あの暗転の使い方が、お家でアニメを見てるような感覚にしてくれたと思う。暗転する時って大体場面が大きく変わるから舞台上の物を動かしたりなんだりで身じろぎができる時間、でもあったりするけど(笑)松ステの暗転はほんとにシーンチェンジだけの暗転だから、「F6のシーン」パン!「6子のシーン」くらいのスピード。普通の暗転がCMだとしたら、松ステの暗転はクラップが挟まれただけな感じ。手を叩いたら場面が変わった、みたいな。そんなスピードで進んでいくからもう一度初めから見てみたいと思うし、見ても飽きなそうだなって思った。

 

こうやって人気コンテンツが舞台になるとすぐにマナーの学級会が開かれるけど、今回はあんまり見なかった気がする。私が見なかっただけかもしれないけど。まあでも、ステージの写真を撮ってる人は居たなあ。声かけたけど、なんでダメなのか分かって無さそうだった。理由は自分で調べて、とりあえず撮るのをやめてね。舞台が観れなくなったら嫌なので。

 

結局のところ、舞台は娯楽の一部なのだから、こういうものがあってもいいのだと思った。というか、本当はもっとたくさんあるんだろうな、ただただ笑っていられる舞台。私が知らないだけで。それを2.5次元舞台と呼ばれる作品が教えてくれたんだと思う。「笑い」だって、感情を揺さぶられてできること。再現率もかなり高かったようで、いよいよ2.5次元もビジュアルだけで生き残っていくのは難しくなっていくんだろうな。

沼のはじまり

「かっこいい」ではなく「かわいい」とこぼしはじめたら、その時はもう沼の真ん中

ってツイート見かけて、そうなのかな~と少し思ったのでつらつらする
私的に、これは二次元に言えることかなーって。二次元のキャラクターって可愛い、愛でたいって思い始めたらもう既にジェットコースターの乗ってると思うんだよね。グッズ集めたり、一日中その子のこと考えたり。だけど三次元ってどうなんだろう。

小学生から中学、中学から高校でJオタから48オタクを経験し二次元オタクに辿りついたんだけど、私の場合は「頑張って欲しい」と思った時が沼の始まりだなあと感じてる。私はCDデビューして大舞台に出て行く彼らを見ると、「もう私がいなくても彼らはもっとたくさんのファンが応援してくれるから大丈夫」って思い始める。そうすると、「応援したい子」を探し始めて次の担当になる。そんなのを繰り返していた気がする。48グループの場合はグループ自体がその対象で、応援していた時期は紅白で「秋葉48さんです!」って紹介されて、単独ではなく地名の象徴みたいな位置で出てた。「女子が女子の熱狂的なファンになる」っていうことをあんまり理解してもらえなくて、母親にはレズなのかと心配されたこともある。そんな彼女たちがどんどん売れていって「国民的アイドル」と呼ばれる頃にはもう私はオタクじゃなかった。

案外似てるのかもしれない。2次元オタクと3次元オタク。だけど、大きな違いは反応が返ってくるところにある。何かをしたらその声が生で返ってくる。

じゃあいま私がいる若手俳優沼は?
好きになる定義は人それぞれだけど、沼が深いのはその声が直接返ってくるところかなあって思った。他の国民的アイドルたちよりも、よりダイレクトに返ってくる。手紙を読んでることも分かる時は分かるし、プレゼントを使ってることも直ぐに分かる。生で観ることができるのは年に一回だけ、なんてことなく毎月観ることが出来たりするし、「推すのやめよ」って思っても手元に来月の公演のチケットがあったり…そう考えるとここって本当に凄いね。
てことは、若手俳優沼の沼のはじまりは次回、または別作品のチケットが既に手元にあるときなんじゃ?ここを抜け出したいと思うのなら、チケットを取ることを辞めなきゃならないのかも。そうなったときの参考にするね。今のところ、来年の2月までチケットあるけど。