アイドルが世界を救う話

だってだって、アイドルなんだもん。

応援スタイルの違い

何か月か前に勢いで書いたブログ、これを読み返していま、そのときの自分に謝りたくなっている。
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やっぱり私は飽き性で、”何か”を推すことはできても、”誰か”を推し続けることってできないのかもしれない。なんて思う今日この頃。
4ヶ月くらい一人の子を中心にして回っていた世界が崩れたのは、大好きな作品の新作公演の発表だった。難しいなあ~と思いながらも、躊躇することなく大阪の宿を抑えて(チケットはまだないまして詳細すら出てない)、ウキウキしている自分がそこには居てですね。私の周りは推しくんを見守り追いかけ続けているひとがたくさん居るから、余計に「1作品1回しか見てない自分が彼を推しと言うのは可笑しい気がする」って思う。よっぽど、今回の発端となった作品のほうが観に行ってる。
言いたいことは、私はまたふらふらしてるよ~ってこと。こっちのスタイルのが合っているんだと思う。「誰推しなんだっけ?」って聞かれる日々が、また始まるんだろうな。

Twitterでよく出回る「こうやって応援していけば疲れないよ」っていうやつ、あれって結局は人それぞれ違うんじゃないかなと、ようやく思った。だって、ゆる~く応援するのが正解だ!なんて思わないもん。だからといって、推しが出演する作品は全部全公演入ります!っていうのが正解だとは思わないけど。
その人を観ていたいから、その人のために、自分のために、いろんなスタイルがあっていいんだと思う。私は結局、「自分のために」が最初に来るからいつもこうなる。自分のために、自分が今観たいと思えるものを観たい。

年が明けたら引っ越しの可能性も出てきて、身の回りの整理をし始めた。手放すことなんて無いと思っていたあれそれを、案外あっさりと手放す自分に少し安心しながら。

たぶん、お芝居が素敵だからって理由で応援しだすのに、「推す」ってなった途端にその人自身も含めて応援することになることが、私は苦しいのだと思う。遠巻きに素敵だなあって思うことはよくあるのに、いつもいつもいいところを探さなきゃ!みたいになるのが。えーなんかもうよくわかんない。とにかく舞台を観るときはいつだって、行きの電車も幕が上がる前のドキドキも終演後のふわふわした感覚も帰りの電車の満足感も全部あって欲しい。

うまく表現できなかったけど、世の中にはこんな奴も居るよって話。案外、一歩下がってみれば自分みたいな人ってたくさん居た。だから、私はまだまだ、この若手俳優と呼ばれる彼らが出る舞台の世界に足を突っ込んでいられる。